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「複雑さ」に向き合うことをやめてはいけない

倉敷美観地区夜の風景

こんにちは。
株式会社有鄰の代表の犬養です。

先日、昔からお付き合いのある認定NPO法人 難民支援協会さんが主催している『写真展 ニッポン複雑紀行』を観てきました。
そこで感じたことを書こうと思います。

結論としてはタイトルに書いた通り、複雑さに向き合うことはエネルギーも要ることではあるけれど、そこは諦めずにやっていきませんか、っていうことなんですけれども。

いつの時代も、分かりやすいものは支持を受けやすいけれど

出製陶の花器

僕はSNSも好きなので、分かりやすいものの波及力ってすごいなと身をもって感じますし、分かりやすく伝えることの大切さも感じています。

フェイクニュースやポピュリズムはここ数年またクローズアップされてきてしまっていますが、その構造自体は人類の共同体ができてからずっとあったものだとは思います。

ただ、分かりやすく理解したものって、結局のところその根本のところは理解していないんですよね。
ごく浅い理解というか、もしかしたら誤解さえしているかもしれません。

その点、僕がこれを書くきっかけになった、日本で暮らす外国人・移民をテーマにした写真展は、まさに複雑さを想起せざるを得ないものでした。

日本国籍でない人が日本で暮らす。その難しさ

「その難しさ」と言っても、本当に一括りで体系化したり語ったりすることはなかなかできません。

日本にいる外国人の数だけ事情があると言っても過言ではありませんし、とはいえそこには確実に「この状態はどう見ても健全な状態ではない」という問題が大きく横たわっています。

その個別の事情に対して、一人ひとりへのケアもされている難民支援協会さんには頭が上がらないんですが、僕はそうした複雑さに向き合うことの大切さだけはいつも頭に留めていなければいけないなと思っています。

普段の生活にも存在する複雑さに思いを留めておく

ゲストハウス&カフェ有鄰庵の厨房の風景

『カフェ有鄰庵』、厨房での風景

もちろんこの「複雑さ」というのは、日本で暮らす外国人の話だけではありません。

たしかに私たちの脳って、ここまで情報が過多になっている時代、ずっと疲弊状態にあるのかもしれません。

ただ、時にはそこに休息を与えてでも、複雑さから逃げないようで在りたいと思っています。

例えば「分かった」と口にするとき、それって本当に「分かって」いるのか、「理解して」いるのか。
どこかで自分のその「理解」を疑う視点ももっていたいです。

なぜなら、それが他者への(本当の意味での)優しさや、自分にとって後から振り返っても納得のできる選択につながることだと思うからです。

ちょっと抽象的な話になりましたが、今回の写真展を観たことで書いておきたくなったことでした。

「複雑さ」について

最後に、ウェブメディア『ニッポン複雑紀行』n_ の編集長をしている望月くんが書いていた「複雑さについて」という文章がとてもよかったので、特に好きだった部分をここに記しておきます。

「最後は人の言葉の借用かい!」ってツッコミがありそうですが、それほど誠実で良い言葉だったので。

「複雑さ」とは何でしょうか。
それは二分法の効用をあきらめることだと、いま私は思っています。簡単には割り切れない現実の苦しさから、「わかりやすさ」によって私たちを解放してくれる二分法の力を前にして、あえて立ち止まり、その整理を疑ってみるということ。
受け入れると受け入れられるの二分法、日本人と外国人の二分法、彼らと私たちの二分法、まことしやかに語られるそういう様々な二分法は、本当のところはリアルでもなんでもないのです。

複雑さについて(望月優大)

この記事を書いた人

犬養 拓

犬養 拓

母方が倉敷の町にゆかりの深い大原家ということもあり、愛着のある倉敷のために、広告代理店で培った知見と経験を生かして2015年1月より有鄰庵に加わり、2016年7月に代表に就任。 スタッフからは「ワンさん」「ワンちゃん」と呼ばれています。 有鄰の企業理念である「心の豊かな暮らしを創る」ことを目指す。 好きなものはリラックマ。